年賀状は2種類に分けて出す。
お疲れ様です。
皆様は、年賀状は出しましたでしょうか?
メールやSNSが発展してるので、それで済ませてしまうという方々も多いと思います。
私は昔と比べると減ったのですが、お世話になった方や毎年交換している人々には出すようにしています。全部で20〜30枚くらいでしょうか。
◆年賀状は、家族用と独身用と2種類に分けて出す。
私は、出す時には、みんな同じハガキで出すのではなく、2種類に分けて出しています。
その2種類とは、
1 家庭のある人々、お世話になった方々(ほぼ目上の人、恩師など)
→ 子供二人の写った年賀はがき
2 独身の友人・知人
→ 郵便局やコンビニで買ったデザイン付きの年賀はがき(写真無し)
のような感じです。
◆独身者に送る年賀はがきに気を遣うべきか?
これは賛否が分かれそうな気がします。
「家庭持ちでも独身者に対してでも、気にせず同じ年賀はがきで出せばいい」
と思う人も多いと思います。
一方で、
「独身者に対しては家族の写真(特に子供の写真)は載せるべきでない」
と考える人もいると思います。
そんなこと考えたこともないという方もいると思います。
私は、完全に後者の考えです。
今回のタイトルにあるとおり、
出す相手によって2種類の年賀はがきを分けて出します。
◆独身時代の寂しい思い出
私は、30代半ばで結婚するまで、長く寂しい独身時代を過ごしました。30代半ばでの結婚ならそう遅くないと思われるかもしれませんが、もとから結婚願望の強かった私にとって、結婚するまでの独身時代は長く寂しい時間でした。
私の結婚までの経緯(努力と苦悩の日々)については、また別の機会に書かせていただこうと思いますが、20歳頃から精力的に婚活に取り組んできた私にとっては、結婚までの10数年間は長く辛い時間でした。(私が結婚を意識し始めた頃、まだ婚活という言葉も普及していませんでした。)
そんな独身時代に、同年代の友人から、幸せそうな家族の写真付きの年賀状をもらうことは、結婚したい自分をより焦らせ、独りでいる自分がより寂しくなりました。
年賀状送ってくれた友人は何も悪くないのですが、私がそういう思いをしたこともあり、他人にも同じ思いをしてほしくない、という半分自己妄想的な理由から、毎年年賀はがきを2種類に分けて送っています。
私は今家族がいる幸せを噛みしめていますが、無意識に自分の幸せを他人に押し付けない、あるいは、誇示しないように気をつけています。
家族に関する考え方は時代とともに変わってきてますが、どれだけ人間関係が希薄になっても、家族の絆だけは最後まで残ると信じています。そういう想いを、今後もこのブログで書いていきたいと思います。
子育て時期の交友関係は通じ合える友が数人いればいい。
お疲れ様です。
正月も終わりましたが、皆さまはどのように過ごされたでしょうか?
私は家族で私の実家に帰って年末年始を過ごしました。
実家で過ごすと言っても、家族でいる以上育児をすることには変わりませんので、ゆっくりしたという感覚はあまりありません…。
実家に滞在中は、食事の用意や洗濯などの家事は親がやってくれたのですが、違う環境での育児はまたいつもと違った大変さがありました。
(例えば、下の子が実家の古い風呂を嫌がって、入れるのが大変でした。)
さて、皆さまは親友と言える友人はいますでしょうか?おそらく2、3人くらいは思い浮かぶ友人がいるのではないでしょうか。
正月に地元の親友と2年ぶりくらいに会って話しました。
やはり親友に会うと昔話をしたり、お互いの近況を報告し合ったりできて、楽しい時間を過ごせました。
会ったのは一対一ではなく、夜にうちの実家に来てもらいました。
正月でも小さい子供がいる以上、簡単に一人で出かけられないのは例外ではありません。特に、私の実家に妻と子を置いて一人で出かけるなんてことはありえません。(だから、同窓会のような集まりがあってもここ数年は参加してません。)
その友人とは、奥さんと子供二人が居合わせる状況の中でも、楽しく話ができました。時には子供に手をかけたり、奥さんにも話題を振るなどして退屈しないようにもしました。
◆本当の親友なら会わなくても通じ合える。
仲良かった親友たちとも、家庭を持ってから接触が激減しました。
平日も土日も育児をできるだけやろうとすれば、友人とゆっくり会っている暇などありません。
ですが、親友たちと疎遠になったとは思っていません。親友だからこそ、お互い育児世代で重要な時期を過ごしていると理解し合っているので、安易に会わなくてもいいのです。
日頃連絡を取らなくても、お互いの立場や状況を理解し合える仲だからこそ、本当の親友だと実感できます。実際に、正月に少し話した友人との時間は、短時間でもとても楽しくて、中身の濃い話ができました。
◆育児パパを気軽に誘う友人は本当の友人ではない。
同世代の友人の中にも、学生時代のノリのように気軽に夜飲みに誘ってくる人もいます。まだ結婚してなくて、あるいは、子供がいないのならそういうノリでいるのも分かります。一方で、同世代で子供がいるにも関わらずそういうノリの友人からの誘いには断固として拒否します。育児を放り出して学生のように行動する友人に対しては、その自由さに一抹の羨ましさも感じますが、全体から見れば、育児を通じて得られる喜びを得る機会を逃しているのを不憫に思います。きっと将来後悔することになるぞ、と。
ただし、価値観が違うのであえて何も言いません。誘いを拒否すると言っても、あからさまに強く言うのではなく、やんわり断ります。何度も断っているうちに向こうも諦めて誘ってこなくなります。寂しく思う必要はありません。そうなれば、人間関係が一つ整理できたということでスッキリします。
◆良い育パパになるためにはこれまでの交友関係を整理することが必要(通じ合える親友が数人いればいい。)
子供が小さいうちは、人間関係を縮小して当然だと思います。広く浅く誰とでも付き合うのは、子供ができるまでです。子供ができたら、人間関係を整理すべきだと思います。人間関係を縮小して整理していく中で、接触がなくても疎遠にならない人、自然と通じ合える人こそ、親友であり、今後も付き合っていく人だと思います。私も子供ができて、交友関係を縮小していく中で、親友の存在を改めて認識することができました。
子供ができるまでは、私も寂しがりやでとにかくたくさんの人とつながっていたいと考えていましたが、育児をする中で、今は通じ合える親友が数人いればいいと思うようになっています。
育児には質も量も重要です。子供や家族との時間を十分に得るためには、これまでの人間関係をバッサリ整理していく決意が必要です。
それができずに、以前のように無用な付き合いを続けているようでは、良い育児はできないと思います。
育児は二人三脚に似ている?
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今年も育児や仕事を通じて思うことをざっくばらんに書かせていただきたいと思います。
◆育児は夫婦の二人三脚に似ている??
さて、この少し長い年末年始の連休を家族と過ごして、改めて思うことは、
育児は夫婦の二人三脚にに似ている
ということです。
以前にもこのブログで同じようなことをちらっと書きました。
育児は夫婦の息が合ってやれば、スムーズに進むし、子供もすこやかに成長すると思います。
逆に、夫婦の息が合わないと、お互い足を引っ張り合ってうまく進まなくなります。ストレスがたまり、夫婦の関係もギクシャクしてきます。
◆育児が大変なのは夫婦間の二人三脚がうまくかみ合ってないから。
二人三脚で走ることが難しいように、夫婦で育児を息ぴったりですることもなかなかできません。お互いに歩調を合わせて少しずつ進んで行くしかありません。
個人的なことで恐縮ですが、最近、うちの家庭で自分と奥さんの息が合ってきたように感じる瞬間がちょくちょくあります。
ささいなことが多いのですが、例えば、自分がやろうと思ってた家事を自分が子供と遊んでいる間に奥さんがさりげにやってくれることや、私が子供をお風呂に入れている間に奥さんがパジャマを用意して出たらスムーズに着替えさせてくれること、などです。特に夫婦間で申し合わせているわけじゃないのですが、自然に夫婦間で連携できるようになってきました。以前はうちも意思疎通がうまく行かずに、イライラすることが多かったのですが、それが少し減ったように思います。二人三脚が少しずつうまく回り始めてきた気がします。(それでもちょくちょく噛み合わずにお互いにイライラすることはありますが…)
自分で言うのもなんですが、育児において夫婦間で息をぴったり合わせるのはかなり難しいことだと思います。なぜなら、育児に対する意識と行動の両方が夫婦間で同じくらいになることはよほどないことだと思うからです。
たいていは、奥様が主体的に育児をやっていて、夫はそれを手伝っているという状態の夫婦がほとんどだと思います。
(以前にこのブログで書いた「育パパの5段階レベル」のレベル4(共感)までが世のパパの大半だと思います。詳しくは、「育児パパのレベルは5段階?」をよろしければご参照ください。)
育児に対する意識も行動も夫婦間で同程度になったとき、二人三脚のようにスムーズにいろんな事がうまく進むようになると思います。
しかし、パパがまだまだ育児を主体的にしていることがかなりレアな現代では、一般的に育児の二人三脚がうまく進んでいる家庭は少ないと思います。これが育児が大変だと考えられてる最大の理由だと私は考えています。
◆まとめ(育児は子供と向き合うことだけではない)
まとめますと、
・育児は二人三脚のように、夫婦間の息を合わせて取り組めばスムーズに進む。
・けれど、ママが主体的に育児をしていて夫がそれを手伝うという状況が一般的な現代では、二人三脚はうまく噛み合わない。
・だから、お互いに(特にママにとって)ストレスや負担が積みあがるので、育児は大変なこととなる。
最後に私の意見を述べさせていただくと、育児は夫婦間の共同作業であって、パパが子供のために何かしようと思えば、それはパートナーであるママのために何ができるか、ということと同じことだと思います。
現代の育児を変えるためには、パパの育児に対する意識と行動のレベルを上げていかなければならないことは間違いないと思うのですが、その一歩として、パパたちは、まずはパートナーであるママへの配慮をもっとしてみることを考えてはいかがでしょうか?今まであまり育児に関われなかったパパたちは特にですが、いきなりママと同じレベルで子供に向き合うことは難しいですが、愛するママのためにできることはすぐにでも行動に移せると思います。そうすることが、育児の二人三脚を前に向かわせる動力の一つになるかもしれません。
職場の人間関係で悩んだら
お疲れ様です。
今日は仕事側の話題です。
育児は、外で働くことよ大変でかつ重要であるということは、私の揺るぎない軸となる考えです。
そうは言っても外で働く苦労もあります。
◆仕事での最大の苦労は人間関係
働く苦労として私が一番に挙げることは、
職場での人間関係
です。
仕事の種類にもよるかもせれませんが、会社などの組織に属して働いている場合は、常に人間関係が付いて回ります。
気の合う人もいれば、まったく気の合わない人もいます。
気の合わない人と一緒に働くことは、毎日が地獄と思えるくらい辛い場合もあると思います。(私も何回かそういう境遇で働いたことがあります。本当に辛くて仕事に行くのが毎日おっくうでした。)
最近よく世間で問題になっているパワハラ・セクハラも人間関係から生じる問題の一つと言えます。
とにかく、仕事での人間関係は、場合によっては家族よりも長い時間を過ごすことになるので、それが良くないと本当に大変です。
(職場に1人くらい苦手な人がいるほうがむしろ普通だと思います。)
◆人間関係に悩んだら家族を想う
そういった難しい人間関係を気持ち的に乗り越える方法として、私がいつもやっていることがあります。
それは、家族のことを想うことです。
家族のために嫌なことでも頑張ろう、と思えるということもあるのですが、奥さんや子供を想うと、
「家族に比べれば、この人たちなんてしょせん関係ない他人だ。」、
「関係ない人にいくら頭を悩ませても無駄だ」
と思えてきます。
そう思うと、いくら嫌な人でも「今限定の関係の人」と思えばあまり気にならずに接することができるようになってきます。
私は人間関係でこちらが気を使う場合は、その相手方にとっては意外にそれほどこちら側を意識しているわけではなく、こちらが過剰にその相手のことを気にしてしまっているだけの場合がけっこう多いと思います。
なので、いくらこちらが気を使ってその相手からの自分への影響(攻撃)を抑えようとしても、相手方は無意識なので、何ら変わらないと思います。
そうだとしたら、自分側も相手をそれほど気にしないようにすることが一番だと思います。ですが、長い時間をともに過ごす職場の人間関係を気にしないということはなかなか難しいです。強いメンタルが必要です。
そこで、職場の人間関係を気にしないためには、
その人よりもっともっと重要な家族を思い浮かべて、「家族に比べればその人はなんて自分に関係のない人なんだ」、と思えればその人がそこまでに気にならなくなってきます。
仕事の苦労は、仕事の内容よりもむしろ人間関係だと私は思っています。
(特に公務員の職場はそうです。偏っている人が多いです)
仕事がきつくても、気兼ねなく相談できて、助け合える人間関係があればたいていの仕事は乗り越えられると思います。
◆育児をする人は職場の人間関係にもうまく対処している?
繰り返しになりますが、人間関係の苦労を和らげてくれるのが、職場よりずっと大切な家族の存在です。家族に比べれば職場の人たちなんて正直どーでもいい人ばかりです。
そういうふうに考えるためには、
やはり家族を日頃から大切にしていなければなりません。子供がいる場合は育児もしっかりやっていなければなりません。
そういう意味でも、職場の人間関係に振り回されずに仕事のできる人は、やはり家族を大切にしており、育児もしっかりやっているはずだと思います。
私は、「仕事のできる人ほど育児もしっかりやっている」と考えますが、
「職場の人間関係をうまく対処できる」、という意味においても、やはりこの考え方が間違ってないということを実感します。
なぜ「イクメン」という言葉はすたれてしまったのか?
お疲れ様です。
今回は「イクメン」という言葉について、私の考えをざっくり述べたいと思います。
育児をしているパパなら一度は「イクメン」という言葉を意識したことがあるのではないでしょうか??
◆「イクメン」という言葉は一時期はとても流行っていた?
「イクメン」とは、誰でもご存じだと思いますが、「育児をするメン(男)」というのを短かくした言葉です。文字通り、育児をする男性という意味です。
単に育児をする男性という意味だけでなく、「イケメン」(=イケてるメン(男))という言葉に似せて、「育児をするかっこいい(イケてる)男性」という意味にもなると思います。
一時期(5年くらい前から?)この「イクメン」という言葉が世の中で流行りました。昔とは違って、現代は男性も育児に積極的に取り組むべきだという風潮からだと思います。
けれど、最近この「イクメン」という言葉があまり聞かれなくなったと思いませんか?
インターネットの記事などを見ていると、むしろ「私はイクメンではない」とか、「イクメンと呼ばれたくない」とか、ネガティブな扱いもされるようになってきています。
私の感覚ですが、「イクメン」という言葉は一時期から比べるとかなりすたれてきているように思います。
それはなぜでしょうか??
◆「イクメン」という言葉がすたれた理由(イクメンをアピールする人ほど大したことをしていない事実)
理由の一つとして、「イクメン」をアピールしておきながら、実は育児をしていない、育児をしないどころかもっと悪いこと(不倫など)をしていた有名人などの事実が、いくつかあからさまになっていることがあると思います。
例えば、某政治家は育児をするための育休取得を宣言しておきながら、実は奥様の妊娠中に浮気をしていたことが報道で明らかになりました。浮気は当然良くないことですが、その前に「イクメン」ぶりをアピールしていただけに、より世間の冷たい目にさらされることになりました。
私は有名人に限らず、育児をしているアピールするパパほど、大したことはやっていないんじゃないかと思っています。ましてや、自分をイケてると言わんばかりの「イクメン」という言葉を自分で言うパパは信用できません。
前の記事「育児パパのレベルは5段階?」でも書きましたが、パパの育児がどれくらい子供や奥様のためになっているかということは、自分自身の主観では分かりっこないのです。自分がどれだけ育児をやっていると思っていても、奥様や子供がそう思っていなければ、育児をやっているとは言えないのです。
さらに言えば、育児を本当に重要なこととして、取り組んでいるパパはあえて「イクメン」アピールはしないと思います。育児は父親として当然のことと考えるので、それを他人にわざわざ言わないはずだからです。逆に、あえてアピールするパパの方が、少しやっただけで、特別なことをしたかのように過剰に言いたがるのだと思います。
なので、「おれば育児をしっかりやっているんだ!」と言わんばかりの「イクメン」アピールは、実態を知らない他人にとっては、「本当にそうなのか??」という疑念を抱いて当然だと思うのです。
このような「イクメン」アピールする側とされる側の認識のギャップが、「イクメン」という言葉がすたれた根本的な理由だと考えています。
要するに、世の中でパパが育児をしっかりやっているという認識がまだまだ浅いのです(実態もそうだと思います。)。だから「イクメン」と自分でも言いにくいし、他人も「イクメン」だと認めにくいのだと思います。有名人の「イクメン」アピール後のスキャンダルはそれに追い打ちをかけています。
私個人としては、「イクメン」という言葉はそんなに悪い言葉だとは思っていません。育児することはもちろん良いことですし、そういうパパがこれからの「イケてるパパ」になれば良いと本気で思っています。(単に見た目がかっこいいパパだけがイケパパではありません!)
◆まとめ(他人に言われてはじめて「イクメン」になる)
最後にまとめますと、「イクメン」とは、他人から言われてはじめてそうなるのだと思います。自分から言っているようではまだまだだと思います。
(まあ、がんばっているとたまには言いたくなるんですけどね(笑))
自分では育児を意識していないのに、ママや子供たちにとってすごい良いパパになっている。あるいは、育児している風には見えないのに、ある時他人の目にたまたま留まって、実はすごい「イクメン」だったと気づかせる。それでけっこうビビっと強い印象を与える。
そういうパパに自分もなりたいと思います。
育児パパのレベルは5段階?(その4)
お疲れ様です。
最近急に寒くなって、子供が風邪をひいたりして育児がますます大変になっているご家庭もあるのではないでしょうか??
前回まで3回にわたって、私が考える育児パパのレベルについて、書かせていただきました。
その要点は以下の通りです。
●育児パパのレベルは、5段階。
レベル1 無関心
レベル2 無理解
レベル3 理解
レベル4 共感
レベル5 実行
●今の世の中の育パパは、レベル2(無理解)とレベル3(理解)のどちらかで大半を占めている(全体の8割以上。育児の強い支援になっているとはまだ言い難いレベル)。
●育児の大変さと喜びをママと共感して取り組んでいるレベル4(共感)のパパは、残念ながらまだほとんどしない(全体の5%程度?)。
●レベル5(実行)は、育児をママと対等の意識と行動をもって取り組んでいる育パパの理想像
◆私(筆者)は5段階の育パパレベルのどれに当たるか??
これまで一方的に私の「育児パパレベル論」を述べてきましたが、私自身の育パパレベルについて、自己反省の意味も込めて書きたいと思います。
私自身は、私の考える育パパの5段階レベルでどれに当たるかと言いますと、、、
「正直、分からない。」
というのが本音です。
これだけ育パパのレベルについて語っておきながらそれはないだろー!!!
と言いたくなるかもしれませんが、本当にこれが本音です。
自分では自分自身の育パパレベルが分からないのです。
なぜ、分からないかと言うと、育児をどれだけやっているか、どれくらいママの支援や子供のためになっているか、ということは私の主観では判断できないからです。
いくら私自身が、育児に高い意識を持ってあれこれやっていると思っていても、実際に奥様がどう感じているか、本当に助かっているのかは奥様にしか分かりません。実際のところ、奥様は助かっているとは言ってくれますが、日々の育児で疲れ切っているのは確かで、そういう大変な姿を見ると、私のやっている育児(+家事)もまだまだではないか、と思うこともあります。
◆まとめ(本当に大事なのはレベルではない)
私が提示した育パパの5段階レベルは、あくまでも育児にたずさわっているパパを客観的に見て、そのパパの考え方や実際の行動を踏まえて、私が勝手にレベル分けしたものです。数字が上になるほど、レベルの高い(=良い育パパ)という評価になります。
この育児パパレベルの初回の最初に書いたのですが、育児を取り巻く環境は、その家庭の家族構成や子供の性格、パパ・ママの仕事などの状況によって様々であり、育児パパのレベルを比較すること自体が不可能なことです。ある家庭で、あまり育児に取り組んでいないように見えるパパも、ママや子供たちにとって素晴らしいパパであれば、それは最高のパパであり、それを他人がどうこう言うことではありません。
なので、それぞれ状況の異なるパパを比較すること自体が困難なのですが、ただ、育児は世の中のパパが考えている以上に大変であり、かつ、何よりも重要で尊いことであることは、普遍的な事実として間違いないと私は確信していますので、そういった考えをもとに、このように私が考える「5段階の育児パパレベル」を紹介させていただきました。
私の考えた5段階の意味がよくわからない、あるいは、反対だという方々もおられるかもしれません。むしろひたむきに育児に取り組むパパをレベルで分けようとすること自体がよろしくないとも思えます。
けれども、この記事を読んでいただいて、育児のレベル分けなんてしなくても全くけっこうなのですが、この育児パパに関する5段階レベルの考え方を一つの指標として、特に世のパパたち(ママも)が改めて育児への関わり方に見つめ直して考えていただくきっかけとなればこれ幸いでございます。
これからも、私の意見をいろんな形で書いていきたいと思っています。
(次回予告)
次回は、実は今回の記事にも少し関連しますが、良い育児パパの呼称としてちょっと前に流行った「イクメン」という言葉について書きたいと思います。なぜ「イクメン」という言葉が最近すたれてきたのか、私の思うところをざっくばらんに書こうと思います!
育児パパのレベルは5段階?(その3)
お疲れ様です。
前回まで育児パパのレベルについて、私の意見を書かせていただきました。
育児パパのレベルは、
レベル1 無関心
レベル2 無理解
レベル3 理解
レベル4 共感
レベル5 実行
の5段階であり、
今の世の中の育パパは、レベル2(無理解)とレベル3(理解)のどちらかが大半(全体の8割以上)で、レベル4(共感)に至っているパパは、ほとんどいない(5%以下?)のではないか、と私の意見を書きました。
今回は、私が考える育児パパの最高峰であるレベル5(実行)について、一体どんなものなのか、書かせていただきます。
◆育児パパの最高峰、レベル5(実行)とは?
前回にレベル4(共感)の育児パパとは、育児の大変さと喜びを実感し、育児について的確な行動が取れるとともに、育児をする奥様へのケアもぬかりなく行えるレベルであると書きました。
このレベル4でも十分にママの助けになる素晴らしい育パパだと思います。
この共感のレベルを越えるレベル5(実行)として私が考える育児パパとは、
働いていながらも、奥様とともに育児を主導しているパパ
だと私は考えます。
このレベル5の最大の特徴は、
育児を夫婦間の単純な役割分担と捉えてない
ということです。
パパが外で働いていて、ママが専業主婦であっても、育児の関しては責任も負担も奥様とまったく対等であって、常にパートナーである奥様とともに育児を主導して行っています。
(この点、レベル4以下の育パパは、どれだけ育児をやろうとも、あくまでも育児の主導役はママなんだという認識を持っています。)
夫婦間で対等に育児を行うとは、
「育児の質も量も同じでなければいけない」
ということです。
外で働いていて平日はいないということは、育児をしない理由にはなりえません。たとえ、ママが専業主婦であっても質・量ともに対等な育児を目指し、実現するのです。
(この点、共働きで夫婦がお互い働いていれば、比較的夫婦間で対等な育児になりやすいとは思います。)
私は、外で働くパパと専業主婦のママの間でも対等な育児は可能だと思っています。
例えば、以下のようなことができると思います。
・出勤前、朝ごはんの用意、子供の弁当を作る。
・出勤前、朝の子供の幼稚園の送りをして出勤する。
・毎日子供の起きてる時間には帰宅して、帰宅後はパパがママにバトンタッチして家事・育児を主導して行う。(お風呂に入れて、寝かしつけまでする。)
・子供が寝静まったら、皿洗い、洗濯などできる家事をやる。
・子供の幼稚園関連の行事の把握と準備、提出書類などを管理する。
・子供の体調を把握・対応する。(予防接種、各種検診、病気の際の通院など)
・休日は育児・家事ともに主導して行う(ママの休める時間を作る)。
などなどです。
要するに、自分が家にいる時(時には仕事を休んで)は、育児も家事も全部パパが主導して行うということです。
レベル5のパパは、これを意識せずに自然と行います。
前回、育児は夫婦による二人三脚のようだと書きましたが、レベル5のパパがいる家庭では、パパとママの歯車がうまく噛み合い、育児がとてもスムーズに進んでいます。夫婦間の育児の負担・ストレスは和らげられて、子供はすこやかに成長します。
また、レベル5のパパは、家庭のみならず仕事もうまく行きます。育児をするためにより効率的に仕事をこなすようになり、業績が上がるだけでなく、その姿は周囲からの信頼をも得ることになります。こうした流れで、育児を真剣にやるパパほど仕事でも出世するという、とてもプラスの効果が生じてきます。
(育児をする人ほど出世する、ということは以前にもこのブログで詳しく書かせていただきました。)
良いことづくしのレベル5ですが、やはりこのようなパパは世の中でほんの一握りしかいないと思います。(レベル4(共感)でも5%以下であり、レベル5は100人のパパに1人もいないと思います。)
実は、レベル5(実行)は、私も具体的にそういうパパを知っているのではなく、私が考える育児パパの理想の姿なのです。
繰り返しますが、私が考える育児パパの最高峰(レベル5)とは、
育児を夫婦間の役割分担と考えるのではなく、ママと二人三脚で育児を主導している
パパです。
育児を主導するとは、要するに、外で働いていても、ママと対等の意識と行動をもって、育児に取り組むということです。
そういうパパに私はなりたい
と思っています。
◆最後に「じゃあ、私(筆者)はどのレベルの育児パパか?」
これまで3回に渡って、育児パパのレベル分けについて、私の意見を書かせていただきました。
まるで評論家のように一方的に私の考える育児パパの5段階のレベル分けについて書かせていただきましたが、
「じゃあそう言うお前(筆者)はどのレベルの育パパなのか?」
と思われた方もいるかもしれません。
ということで、
次回は、この育パパのレベルシリーズの最終回として、私(筆者)がこの5段階レベルのどこに位置づけられるのか、自己反省の意味もこめまして、私自身の育パパレベルの評価について書かせていただこうと思います。
育児パパのレベルは5段階?(その2)
お疲れ様です。
今回も育児パパのレベルについて、前回に続いて私の意見を書かせていただこうと思います
前回、育児パパのレベルは、以下の5段階あると考えると書きました。
レベル1 無関心
レベル2 無理解
レベル3 理解
レベル4 共感
レベル5 実行
この5段階のうち、レベル2(無理解)とレベル3(理解)のどちらかで、今の世の中の育児パパの8割以上を占めているのではないかと書きました。
特に、育児の重要さ、大変さを一応理解している(しようとしている)パパが最近は増えているのではないかと思います。
前回はレベル2(無理解)とレベル3(理解)のレベルがどんなものか、私の考えを書かせていただきました。
今回は、さらにこの上のレベル4(共感)とレベル5(実行)の二つのレベルについて、引き続き私の考えを書かせていただこうと思います。
◆レベル4(共感)とは?
レベル4(共感)とは、育児の重要さ・大変さを、表面的に理解しているのではなく、実際の経験などから身にしみて納得し、深く理解しているレベルの育パパであり、その行動や言動から育児を大切にしていることがはっきり分かるレベルです。
育児について、言われたことだけでなく、本当に子供の性格や体調などを理解した上で、先を読んだ実効的な行動を取ります。また、子供に対してのみならず育児をする奥様のケアもぬかりなく行います。
例えば、レベル4の育パパは次のような行動を普通にとっていると思います。
・原則子供の起きている時間には仕事から帰宅する。
・休日一人で外出(休日出勤含む)は基本しない。
・飲み会はよほど重要なもの以外参加しない(平均で月1回あるかどうか)
・平日も何らかの家事をする。
・休日は育児を主導する。
(例えば、休日は子供を連れ出して奥様の一人の時間を作ったりする。)
などなどです。
よって、レベル4(共感)のパパは、日々育児に追われるママの強力なサポーターとなっています。
私が周囲や社会全体を見る限りでは、このレベル4に達している育パパはなかなかいません。割合で言うと5%(100人に5人)くらいではないかと思います。
レベル3(理解)の育パパと決定的に違うのは、育児を単に理解しているのではなく、まるで自分がママになって毎日の育児・家事を行っているかのように、ママと同じ育児の大変さと喜びを感じられていること、つまり育児について夫婦で「共感」できていることです。
何でもそうですが、自分が経験したことないことについて共感することは難しいです。実際にかつて自分が育児を主として行っていたことがある、などといった経験がないと育児について共感することはなかなかできません。
けれど育児に夫婦間の共感はとても重要です。
私は育児は二人三脚のようなものだと思っています。
夫婦二人の息が合わなければなかなかうまく前に進みません。
ただ、逆に言えば、息が合わなくても、苦しみながら前にはゆっくり進むことはできます。なので、育児で言えば、夫婦間の息が合ってなくても子供が成長しないわけではありません。しかし、息が合ってない中での二人三脚は、お互いにとって苦痛であり、ストレスが溜まります。
共感のない育児(レベル3以下)とは、まさに息の合ってない二人三脚のようなものだと思います。夫婦間でうまく意思疎通ができず、育児に関してお互いイライラしたり、ストレスを溜めたりしていまします(それが特に育児を主として行うママに多くしわ寄せが行きます。。。)。
こういう状況が今の育児には多いと思っています。だから、いろいろ問題が生じるのではないかと思うのです。
育児を単に理解するレベル3と、共感するレベル4との間にはかなり高い壁があります。この壁をいかに乗り越えられるかが、いろんな意味で、今後の家族や日本社会全体の問題を解決する鍵になるのではないかと思っています。(大げさですが、本当にそう思っています。育児から生じる大きな話はまた別の機会に書きます。)
◆最強レベル5(実行)とは?
今回は育パパのレベル4(共感)の内容とその希少さについて、私の考えを書かせていただきました。育児に共感をもって取り組んでいるパパは、ママにとってどういう形であれ、大きな助けになっていると思います。また、夫婦間の二人三脚の育児がうまくいっている家族で育つ子供も健やかに育っていると思います。
さて、レベル4でも相当希少な育パパ(5%以下)ですが、さらにその上があると私は考えています。
次回は、まさに育パパ界の天然記念物とも言えるレベル5(実行)について、私の考えを引き続き書き進めて行きたいと思います。
育児パパのレベルは5段階?(その1)
お疲れ様です。
世の中にはいろんな家族がいます。
また、それを取り巻く環境も様々です。
育児についても、とても大変な家族もあれば、いろんな助けがあったり、夫婦でうまくやっていたりしてそこまで大変だと思っていない家族もあると思います。
ですので、パパが育児をする度合いも家族それぞれ違って当然であり、比べることは不可能かもしれませんが、私が考えるに、パパ育児のレベルは、大きく分けると以下の5段階に分かれるのではないかと思っています。
今回も、パパ育児について個人的な意見も色濃いのですが、これまでの私の育児を通じて周囲の家族や社会全体を見てきて考えた「パパ育児のレベル」について、書かせていただきたいと思います。
◆育児パパのレベルは5段階?
私が考えるパパ育児のレベルは以下の5段階です。
レベル1 無関心
レベル2 無理解
レベル3 理解
レベル4 共感
レベル5 実行
それぞれのレベルの内容はなんとなくお分かりになると思います。
レベルの数字が上がるほど、パパ育児のレベルが高いということです。
これまでの私のいろんな経験から踏まえて、おそらく現代の日本では、レベル2(無理解)とレベル3(理解)の2つのレベルのパパが大半なのではないかと思っています。
以下、それぞれのレベルについて書きます。
◆レベル2(無理解)
レベル2(無理解)とは、文字通り育児の大変さ、重要さを理解していない(できていない)というタイプのパパです。
こういうパパは、仕事をしている自分のほうが大変で偉いと考えています。なので、自分が休むことや自分の都合を優先する傾向にあります。よって、必然的に育児をする時間は少なく、その中身も大したことのないものとなります。
それだけでなく、育児をするママに対しても偉そうな態度をとったり、心無い言葉をかけたりします。実に残念なパパです。
周りに本当にこのようなパパが多くて辟易します。例えば、週末は1日中寝ていたり、一人でゲームなどして過ごします。また、家族を残して一人で気安く外出したりします。奥様も残念ながら、そういう夫の振る舞いを許してしまっています。
◆レベル3(理解)
レベル3(理解)は、育児の大変さ、重要さはおおむね理解できているパパです。最近はこのレベルのパパが最も多いのではないかと思っています。感覚的には全体の半分から60%くらいでしょうか?
毎日朝から晩まで家事・育児をするママのことを大変だと思い、休日は少しでも家事や育児をしようと考えます。けれど、育児の大変さ、重要さを表面的には理解しつつも、その大変さを実体験を通じて心の底から理解しているわけではないので、育児も家事も基本的にはママから言われたことくらいしかできません。土日は家事・育児をするのですが、平日はノータッチの場合が多く、平気で残業したり、飲み会に参加したりします。
こういうパパは、仕事と育児を奥様との役割分担であると考えている場合が多いと思います。以前もこのブログで書きましたが、「育児と仕事は役割分担として考えるべきではない」と私は考えています。夫婦間で授かった子供の世話は夫婦の役割分担ではなく、対等に行うべきものであって、平日だからとか、おれは仕事をしているからという理由でその責任が軽減されることは決してありません。
育児の大変さ、重要さを理解している(または理解しようとしている)点では良いのですが、共感と主体性に欠けるこのレベルでは、残念ながら育児ママの大きな助けになるとは言い難いレベルです。
次に続きます。
またこんな感じで、個人的意見を述べてしまいましたが、こんな感じ5段階のレベルに分類できるのではないかと思います。このブログをお読みのパパ、またはママの旦那様はどのレベルに属しそうでしょうか??
私が思うに、今の世の中の育児パパの8割以上は、上のレベル2(無理解)とレベル3(理解)のどちらかのレベルに当てはまるのではないかと思っています。最近は社会的なパパ育児の風潮から、多くのパパは育児の大変さを理解して、週末を中心に何かしらの行動を起こしていることが多いと思います。(残念ながらそれでは足りないと書きました。)
次回は、この上のレベル4(共感)とレベル5(実行)について書きたいと思います。
希少なパパたちがどんななのか、私の考え(理想?)を引き続き書かせていただこうと思います。
自分の時間は家族が寝静まってから
お疲れ様です。
前の回からしばらく時間が空いてしまいました。
実は、仕事に関係する試験がこの前の日曜にあったので、それまでその準備をしていました。
今回はそれに関連して、ちょっと自分の意見を書かせていただきます。
少々、自己意見が強い部分もございますが、個人的な意見としてご容赦ください。
職場によって、仕事に必要な知識を得るために勉強しなければならないことも時にはあるのではないでしょうか?場合によっては何らかの試験を受けなければならないこともあると思います。
たまに、休日にパパがいない理由として、
仕事のための勉強(試験勉強)をするため
というのを聞きます。
そう聞くと、
はあ…
というため息がつきたくなります。
それを休日にやる必要があるのか、と思うのです。
小さな子供がいるパパが休日出勤することの残念さは、これまで何度も書いてきました。仕事ができる人は休日出勤は(普通は)しないとも書いてきました。
休日勉強するために家族を残して外出するのは休日出勤と同じくらい残念です。勉強というほとんど自己都合という意味では休日出勤よりも残念だと思います。
試験勉強も仕事の一貫として平日の勤務時間中にやるべきです。ただ、仕事をしながら勉強するのは難しいと思いますので、平日にやる余裕がないなら、残業とか休日にやるのではなく、帰宅して家族が寝静まってからやるべきだと思います。
私も今回の試験勉強は全て出勤・帰宅途中の電車の中と、家族が寝静まった深夜にやりました。
家族と一緒のときは一切やらないことに決めていました。育児や家族との時間を削ってまでやる勉強はまったく無用です。(と考えていました。)
「勉強や試験が昇進や昇給に影響するから仕方ない」
というように考える方もいるかもしれません。
本当にそうでしょうか?
少し長期的に考えれば、今の家族との時間のほうが大事です。それを簡単にないがしろにする癖がついてしまうこと方が深刻な問題になると思います。
仕事のための勉強という口実で、実はカフェや図書館に行って一人で息抜きしているだけではないでしょうか?
(今育児をする人のほうが将来出世するととなる、ということは前に書かせていただききました。)
それに、その勉強や試験はそんなに大変なのでしょうか?
大変だったとしても、育児や家族との時間に影響のない少ない時間(深夜や早朝、仕事の昼休み、出勤・帰宅途中など)でやればいいのです。
本当に仕事ができる人ならそれができる(そうするよう努力できる)と思います。
勉強のために限らず、休日に家族を残して気安くひとりで出かけるパパと、それを簡単に許すママには、以上のようなことをもう一度考えてみてはどうかと思います。
いつもながら、ちょっと傲慢な意見を書いてしまって失礼しますが、今しかできない大事な育児を、必ずしも今やらなくてもいいことに時間や労力を費やして、子供に寂しい思いをさせたり、ママに苦労をかけたりすることは、本当に見直してほしいと思います。
突然1日仕事を休めますか? つづき
お疲れ様です。
前回、パパが突然1日休みを取れるかが、パパ育児の重要なポイント(腕の見せどころ)と書きました。
しかし、突然休みを取るのは本当に大変なことです。きっと、仕事をまじめにやっている人ほど、そのハードルは高いと思います。勇気がいることだと思います。
私は、妻や子供の体調が悪いときなど、よく仕事を休んでいますが、今でも職場に朝「今日休みます」の連絡を入れるときは、胃がキリキリ痛みます。決心するのに気合い必要です。
でも、育児は仕事よりももっと大切なことであり、家族のために必要なときはスパっと1日休むようにしています。
ただし、いくら家族のためとはいえ、休むことは少なからず周囲に迷惑をかけ、上司や同僚との関係も場合によっては悪くしかねません。
私がいざという時仕事を休むために、日々心がけていることを紹介します。
それは以下の2つです。
①職場の信頼を得る(仕事でも人間的にも)
②自分だけできる仕事をなくす(仕事をマニュアル化する)
の2つです。
以下で詳しく書きます。
①職場の信頼を得る(仕事でも人間的にも)
これが一番重要です。簡単なことで、休みを取っても許されるだけの仕事を普段からすることで周囲からの信頼を得ておくことです。
「普段仕事をきちんとやっているあいつなら休んでも仕方ない。」
という職場の雰囲気を作ることです。
逆に普段からいい加減な仕事をしている人は、育児のための休みと言っても、イマイチ納得が得られず、同僚や上司に不信感を与えてしまうことになりかねません。
たまに、ネットの記事で、
「若手が育児のために早く帰宅してしまって困る」
といったものを見かけますが、そういう場合は、上司の育児に対する理解が少ないこともあるかもしれませんが、その人の職場における仕事の信頼もまだまだということだと思います。
周りからの信頼を得ることは簡単なことでなく、日々の努力を積み重ねて少しずつ積み上げるものです。
②自分だけできる仕事をなくす(仕事をマニュアル化する)
仕事を休むことを躊躇してしまうのは、自分の仕事の停滞だけでなく、周りに迷惑をかけるから、ということも大きいのではないでしょうか?
自分がいないことで共同してやっている仕事が進まなくなると周りに迷惑をかけます。
そういう問題を軽減するために、普段から自分だけしかできない仕事をなるべく作らないように心がけるべきだと思います。
言い換えれば、「仕事のマニュアル化」と「周囲(上司や同僚や部下など)への情報共有」を常にしておくことです。
そうすることで、自分が急にいない日があったとしても、周りの誰かがサポートしてくれる(代わりにやってくれる)はずです。それで休んだことで生じる影響は、和らげられると思います。もちろん他人のサポートを得るには、上の①で書いた通り、積み重ねた信頼関係の構築が必要になります。
真面目な人ほど、自分で仕事を抱えてしまいがちになりますが、仕事よりももっと重要で、予測不能な子供の育児をするための備えとして、普段から意識しておくべきとだと思います。
以上の2つが、育児のために休むために重要なこととして、私が日々心がけていることです。私もまだまだ未熟なので、この2つが自信を持てるほど実践できているわけではありません。
ただ、日々心がけることで、いざというときに突然の休みを取りやすくなっていることは事実です。
育児は職場のどんな仕事よりも重要で、最優先させるべきだというのが私の根本的な考えですが、だからといって仕事をないがしろにしていいわけではありません。
育児をする人は、仕事もできる人が多い
と私は思っています。
育児をきちんとするために日々の仕事もきちんとする。
→ 仕事がうまくいけば、職場での信頼が得られ、早く帰ったり休みやすくなる。
→ 育児をする時間が増えて、その重要性や大変さを実感できる。
→ もっと育児をするために仕事もがんばる。
→ 職場での信頼もより高まる。(出世にもつながる!)
こうした育児と仕事のプラスの連鎖が回り続けている人こそ、真に「できる人」だと思います。理想的と思われるかもせれませんが、私もそういうパパを目指しています。
育児をしっかりやるパパは、仕事もできる人が多いと思うのは、こういう理由からです。育児をするために、今日もいい仕事ができるよう頑張ります!
突然1日仕事を休めますか?
お疲れ様です。
先週木曜は妻が体調が悪かったので、急きょ仕事を1日休みました。
子供の幼稚園への送り迎え、次男の世話、食事の準備などの家事・育児を一通りやりました。
外で働いている方々(主にパパ)に質問します。
「突然1日休みを取ることはできますでしょうか?」
多くの方々にとって、突然休みを取ることは、
「全く不可能ではないが、できればしたくない。ていうかしない。」
というのが本音だと思います。
私は、外で働いているパパの育児への関わり方の重要なポイントの一つとして、
「突然1日仕事を休めるかどうか」
があると思っています。
奥様が体調を崩してしまったときに、パパが休みを取れるかどうかが、ママの日々の育児のプレッシャーをかなり軽減すると思います。
毎日育児で大変な中で、自分の体調も完璧に維持することはかなり大変だと思います。体調が悪くても夫を頼れないから、自分(ママ)が何があっても育児(及び家事)をしなければならない。
その精神的なプレッシャーは相当なものであり、溜め込み過ぎると、体だけでなく心が参ってしまう原因になると思います。
ですので、実際に頼るかどうかは別として、ママが本当にピンチのときにパパを頼れるという状況を日々作っていくことが重要だと思っています。
私は、だいたい平均で1ヶ月に2、3回は1日休みを取っています。
特に季節の変わり目は妻や子供の体調が悪くなりやすいので、そんなときは思い切って1日休みを取って対応します。他に、育児のために早退や遅刻もけっこうします。
私は職場で休暇(年休=年次有給休暇)の取得ナンバーワンです!
そうは言っても、無頓着に休みを取っているわけではありません。
私は今でも、朝に「今日休みます」という連絡を職場に入れるときは心が張りつめます。
周りに少なからず迷惑をかけますし、自分の考えていた仕事のスケジュールも狂ってしまいます。
おそらく、まじめに働いている人ほど、平日に突然ぽっかり1日休むというのは、精神的にかなりのストレスを感じるのではないでしょうか。
けれど、仕事よりもっと重要な家族のために、奥様の体調不良など必要なときはスパッと休む決断をして、決めたら気持ちを切り替えることが必要です。
この気持ちの切り替えはなかなか簡単にできることではありません。
仕事を休むことは、本当に勇気がいることなのです。
(多くの働いておられる方は納得していただけるのではないでしょうか?)
この勇気を持てるかが、パパ育児のポイントだと思っています。
今週休んでお昼に幼稚園に子供を迎えに行ったら、幼稚園全体でパパが迎えに来ているのは私一人でした。まだまだパパ育児が浸透していないということだと思います。
私はけっこう頻繁に平日休んでいますので、もうめずらしがられることはないのですが、当初は幼稚園の先生に、
「お父さん、今日はどうしたんですか?お休みですか?」と言われたりしました。
また、頻繁に平日お迎えに行っていると、
「あのお父さんはよく幼稚園に来ているが、何をやってる人なのか?きっとフリーランスの自由業なのだろう。それかシフト制?もしくは失業中?」
などなど、ママさんたち間でうわさになりました。
(いえいえ、私は普通にフルタイムのサラリーマンですよ。よく休んでますが、一応自分の職場での責任はそれなりに果たしていると思います・・・。)
ともかく、必要な時には仕事を1日休めるか、取る勇気をもてるかが、パパ育児の重要なポイント(腕の見せどころ)だと思います。
けれど、無頓着に休みを取ることは、仕事を停滞させ、職場の迷惑となり、同僚や上司からいい顔はされません・・・。
突然1日休みを取れる状況を作るためには、どうすればよいのか。仕事への取組み方や、同僚・上司との関係をどうすればよいか。
次回は休みをたくさん取得している私が、日々心がけていることをご紹介したいと思います。
このブログを書く理由について
お疲れ様です。
少し涼しくなってきましたが、育児をする方々にとっては、外遊びもしやすく、いい季節なのではないでしょうか?
私はこのブログを通じて、世の中に何かを発信したい、というよりは、外で働いているパパ側として、育児について日々考えていることを書くことで、自分の考えを整理して、もっと育児に精力的にとりくんでいけるようになりたい、と考えています。
ほとんど自己満足です(*^-^*)
けれど、自己満足と言いつつも、読んだ方々が、このブログを通じて育児についてより前向きに考えるきっかけとなればこれ以上に嬉しいことはありません。
私の育児に対する考えは、
このブログのタイトルのとおり、
「育児に勝る仕事なし!」
です。
この一言に尽きます。
未来を担う子どもを育てることこそ、最高の社会貢献であり、どんな仕事よりも尊く、重要なことであると思っています。
特に最近の少子化、人間関係の希薄化する社会においては、子育てを通じた家族の構築、人付き合いの基礎となる人格形成にも直結する育児は、今後ますます重要になってくると思います。
そんな大切な育児を、他のささいな仕事のためにないがしろにすることはとても残念なことだ思います。昔に比べれば良くなりましたが、今も外で働くパパが育児をしないことを当たり前のように考える人(パパもママも両方)が多いように思います。
小さな子がいるにも関わらず、無用な残業、飲み会、休日出勤は、仕事のできる(=物事の優先順位を判断できる)人がやるようなことではありません。
私は、本当に仕事ができる人は育児に対しても前向きに取り組んでいる人だと考えています。
物事の優先順位を適切に判断できる人は、育児の重要性もきちん理解し、目の前にある仕事だけでなく家庭での育児もいかに奥様と協力してきちんとやるか考えるはずだからです。
外で働くパパが育児をするために、育休の取得だけが良いとは決して思いません。逆に、育児に主体性のないパパの育休は、かえって育児をするママの負担を増大させることにもなりかねません。
大事なことは、育休のように育児をする「時間の量」を増加させることではなくて、いかに「主体性」をもって育児をするかだと考えています。
(パパが育児に主体的になれれば、長期間の育休を取らなくても、良い育児(=ママをとても助ける)はできると考えています。)
今回は、私の考えの要点をつらつら書いてしまいましたが、これらはこれまでブログに書いてきたことと同じことです。
次回あたりは、最近始まった保育の無償化について、私の考えを述べたいと思います。
先に少し言うと、この政策も育休の取得と同じで、私としてはちょっと疑問に思うところがあります。
私の考え③「育休が根本的な解決策か」つづき2
お疲れ様です。
育休についての私の考えの続きです。
前回までに
- 育休の取得が必ずしも育児支援にはならない。
- 夫婦間で仕事と育児を役割分担として考えるべきではない。
- 育休を取らなくても、外で働くパパが育児の責任と負担を担うことはできる。
と意見を書かせていただきました。
今回は、外で働いている立場でも、育児にどう取り組むか、何ができるか、私が日々実践していることを踏まえて書かせていただきたいと思います。
一番重要な点は、簡単なことで
「育児に対して主体的になる」
ということだけです。
言い換えれば、
ママが日々の育児を主導するのではなくて、パパもママと同じように主体的に育児をとらえて行動するということです。
(今までこのブログで何回か書いて来たことです。)
主体的に育児に取り組むということは、具体的には、次のようなことができると思います。
①その日のプランを一緒に考える。
過ごし方(どこで、いつ(どれくらいの時間)だれと遊ぶかなど)、食べさせるものの献立などを自分で行うことのように考えて、提案する。
(そして1日のプランが決まれば、いかに以下の②と③を自分ができるかということを自然と考えられるようになります。)
②できる家事をする
皿洗い、洗濯、掃除、食事の準備など、家事は誰にでもできることなので、それらをいかに減らしておくかが、ママの育児の負担を大きく軽減します。
例えば、帰りに必要な買い物をする、夜皿洗いをする、朝洗濯をするなどすれば、仕事でいない間のママの育児が随分楽になると思います。
(家事と育児の同時平行が何より、育児を大変にしているからです!)
③日々の雑務の管理・実行
幼稚園、学校の行事関連の把握と提出物の準備、検診関係、公共料金の支払い、各種役所の手続などの雑務を管理または実行することで、育児をかなり助けます。
育児をしていると、各種手続きなどの社会的な雑務を完璧にこなすことは困難になります(育児で大変な中でうっかりミスをしても仕方ないと思います)。なので、パパがそういう日々の雑務を実行または管理してあげると、育児をしているママは育児に集中できて助かると思います。
(書類の作成や管理は外で働いている方のほうが、慣れていて円滑だと思います。逆に育児をしているとそういう日々の雑務がおっくうになってくると思います。)
このように、育児をパパとママとが対等に行おうと思えば、パパが主体的にできることはいくらでもあります。そうすることで、外で働いていても、育児の責任と負担を夫婦間で対等に近い形で担うことは十分可能だと思っています。
一方で、
「外で働いているんだから、それで十分社会的かつ家庭的役割を担っている。家のことをやるのは、過重な負担だ」と思う方々もいるかと思います。
違うのです。
子供を作った時点で、その責任と負担はそれまで背負っていたものに加算されて当然なのです。
(子供を作って育児をしないのは逆に無責任だと思います。家庭での無責任は、社会での無責任でもあり、無責任者は職場でも良い仕事ができるようには思えません。(過去の「私の考え②」などもご参照ください。)
繰り返しますが、
育児は夫婦で役割分担できるもの(すべきもの)ではないのです。どちらかがやって、どちらかがやらないというものではなく、対等にすることなのです。
そう考えられない人、今まで育児を任せっきりだった人は、ちょっと振り返ってみてください。そして、夫婦間で育児について話し合ってみてほしいと思います。
いろいろ述べてきましたが、
もちろん家庭によって育児や夫婦間の役割分担に関する考え方は違うと思います。
問題は、育児の責任と負担について、夫婦間での思いが一致していない場合が多いことだと思ってます。
(ママに知らずと育児の責任と負担が過剰にのしかかっていないでしょうか?)
私は育児は夫婦間でまったく「対等」にするべきであり、上の①から③で書いたようなことができると思います。
その「対等」の考え方は家庭によって違うと思いますが、繰り返しになりますが、夫婦の両者が育児を主体的に考えられるようになることがもっとも重要だと思います。
夫婦間の思いの不一致から生まれる不満が、最近は育児の負担となっているケースが多いように思います。
(「うちのだんなは何もやってくれない!」というストレスも育児の大きな負担になっていると思います。)
タイトルに戻りますが、育休を取得することがどの家庭にも通用する育児の解決策では決してないと思っています。逆に見せかけだけの育休はかえって育児の負担を増幅させることにもなりかねません。
両者が主体的に育児に取り組める状態になることこそが望ましいと考えています。
というわけで、育休取得を前もって宣言だけして、取るか取らないかウヤムヤにしている政治家たちは、はっきり言って私から見れば、「お話にもならない。顔を洗って出直せ!」と言いたくなるわけです。
私の考え③「育休が根本的な解決策か」つづき1
前回、育休について
●育休の取得だけでは、育児支援の根本的な解決にはならない
●育児に対するパパ、ママ両方の意識を変えることが必要
●そうすれば、自然とどのように行動すべきか決まってくる
と自分の意見を書かせていただきました。
今回は、もう少し具体的に、どのように意識を変えるべきか、私の意見を引き続き書かせていただきます。
まず、育児に対する意識としては、
「育児は仕事との役割分担として考えない」
つまり、育児はパパが外で働いていようが、ママが専業主婦であろうが、両親にとって全く対等であるべき
ということを意識のベースとして置くべきだと私は考えています。
パパは外で働いていて、ママが専業主婦で家にいるから、ママが育児を主導する役割を担う、ということにはならない(してはいけない)と考えています。
あくまでも、育児の責任・負担は、パパとママが家族でどういう役割を担っていようとも、両方にとって全く対等であるべきだと考えています
(これに対して、家事一般は別です。皿洗いや掃除、食事の準備などの育児を除いた家事一般については、誰がやっても同じことであり、家庭の役割分担としては明確に区別できるでしょう。でも、育児は全く違います。)
なぜそう思うかというと、
子供はママ1人で作ったのではなく、パパとママとがお互いの意思(愛など)を確認しあって授かったものであって、その過程は全く対等なのであり、その後の育児の責任も負担も全く対等でなければおかしい
と思うのです。
これまでの日本では、父親が外で働く役割を担って、母親が育児を含んだ家事をする役割を担うということが当然のように考えられてきました。
今までのそういった考え方が間違っていたとまで言いませんが、現代の少子化の問題や女性の活躍、そして何より家族の重要性などの時代の流れを踏まえると、以前のような育児と仕事を夫婦間の役割分担として考えることは、明らかに時代錯誤であって、育児に対する意識は変えていかなければならないと思うのです。
ますます女性の活躍が叫ばれている現代では、以前のように育児の責任と負担を女性が一手に引き受けることは、おかしなことだと思います。また、少子化が進むなかで、育児を通じて家族を作っていくことの重要性を考えれば、女性だけが家庭を守るというのも違ってくると思います。
繰り返しますが、
育児と仕事を夫婦間の役割分担として考えることは、適当でないと思います。
パパもママも、育児の責任と負担においては全く平等であり、両者が協力しあって行っていかなければなりません。
(日本国憲法の条文みたいですね・・・。でもそれくらい重要なことだと思います。)
こういった根本的な意識を持っていくことが必要であると考えています。
パパも育児をママに丸投げすることは許されないし、ママも自分だけで育児をしているのではなくてパパを育児に積極的に巻き込んでいかなければなりません。
ただ、パパが外で働いていて、ママが家にいるのであれば、仕事と育児は役割分担として考えるのが当たり前だ、
という反論的な意見を持つ方も多いと思います。
もちろんパパが会社勤めで外で働いていれば、家にいるママに比べて育児ができる時間は必然的に少なくなります。
ここで言う育児の対等とは、時間の「量」ではなく、責任や負担といった「質」のことであることを強調したいと思います。
私は、育休などまとまった休みを取らなくても、育児は夫婦間で対等に行っていくべきという強い意識があれば、ママより時間的には育児をする時間が少なかったとしても、パパがその責任・負担をママと対等に近い形で担っていくことは可能である、
と考えて日々行動しています。
次回は、対等な育児を考える場合に、外で働くパパまたはママがどのような行動をとることができるか(とるべきか)、私が日々実践していることを踏まえて書いてみたいと思います。
(つづきです。)